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『忠次売出す』(ちゅうじうりだす)は、1935年(昭和10年)製作・公開、伊丹万作脚本・監督による日本の長篇劇映画である〔''忠次売出す'' 、日本映画データベース、2013年1月13日閲覧。〕〔''忠次売出す''、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月13日閲覧。〕〔''忠次売出す''、KINENOTE、2013年1月13日閲覧。〕〔''《忠次売出す》''、コトバンク、2013年1月13日閲覧。〕。伊丹万作の監督作における初のトーキー作品である〔〔〔〔〔、2013年1月13日閲覧。〕。昭和十年度キネマ旬報ベストテン第4位を獲得した。1955年(昭和30年)製作・公開、伊丹万作原作、八尋不二脚本、荒井良平監督による日本の長篇劇映画『悪太郎売出す』は、本作のリメイク作品であり〔''悪太郎売出す''、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月20日閲覧。〕〔''悪太郎売出す''、KINENOTE、2013年1月20日閲覧。〕、同作についても本項で詳述する。 == 略歴・概要 == 本作は、伊丹万作にとって、片岡千恵蔵プロダクションでの脚本家、そして監督デビュー以来のキャリアを経て、同年、新興キネマ京都撮影所に移籍、同社で最初に手がけた作品であり、初めてのトーキー作品であった〔。 当時満33歳にして無名の歌舞伎俳優であった市川朝太郎は、舞台での好演を白井信太郎に認められ当時松竹傘下だった同撮影所に所属、これを主演の「長岡忠次」こと国定忠治役に抜擢された〔、2013年1月13日閲覧。〕〔キネマ旬報社, p.48.〕。朝太郎は、のちに大映の監督になる加戸敏の実兄であり、当時、同撮影所演出部に所属していた加戸は本作の助監督を務めた〔〔加戸敏 、''raizofan.net'', 2013年1月13日閲覧。〕。録音を手がけた河野貞寿は当時、松竹京都撮影所に所属していた「土橋式トーキー」の土橋武夫の助手である〔、2013年1月13日閲覧。〕。 本作は、同年2月28日に公開されたが、日活は、同日、日活京都撮影所のスター俳優大河内伝次郎主演、三村伸太郎脚色、山中貞雄原作・監督の『国定忠次』を公開しており〔国定忠次 、日本映画データベース、2013年1月13日閲覧。〕、本作の興行成績は、日活の『国定忠次』に及びもよらなかった。しかしながら、本作は「時代劇スター中心主義の映画界の風潮に痛撃を加え、新風を吹き込んだ」と評価される〔。同年、昭和十年度キネマ旬報ベストテン第4位を獲得、これは、伊丹の監督作のなかでは前年度の『武道大鑑』(1934年)とタイであり、伊丹にとっては生涯最高位のランクインである。同日公開で興行的にも水をあけられた山中の『国定忠次』は、第5位であり、当時の評価としては『忠次売出す』が辛勝した。 本作に先行し、1933年(昭和8年)2月1日に河合映画製作社が、同一のタイトルのサイレント映画『忠次売出す』を長尾史録監督、市川百々之助主演で製作・公開しており、同じ若き日の国定忠治を主題とした映画ではあるが、同作は鈴木史郎(のちの鈴木史朗)のオリジナルシナリオによる作品であり、本作との関連性はない〔〔〔〔〔忠次売出す (1933年)、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月13日閲覧。〕。 本作公開の20年後、1955年10月19日に公開された映画『悪太郎売出す』は、本作を原作に八尋不二が再脚色し、荒井良平が監督した本作のリメイク作品で、大映京都撮影所(現存せず)が製作し、大映が配給して公開された〔〔。主人公を国定忠治から「仙太」に、九鬼伝蔵にあたる役どころを「十河十兵衛」に変更しているほかは、登場人物名はほとんど変わっていない〔〔。 2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである〔〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月13日閲覧。〕〔主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇 、マツダ映画社、2013年1月13日閲覧。〕。本作の脚本については、1961年(昭和36年)11月15日に発行された『伊丹万作全集 第3巻』(筑摩書房)に収録されている〔伊丹, p.175.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「忠次売出す (1935年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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